教育の難しさ

○教育の影響は、時代、場所を問わず大きいことを意識しなくてはなりません。

中日新聞2012年8月16日(水)朝刊より。
シリーズ「日米同盟と原発」第1回「幻の原爆製造」に以下の文章が掲載されていました。
中学三年生の時にウラン採掘に駆り出された当時の状況です。

「早朝から夕方まで、手に豆、肩にあざ、毎日スコップとモッコで、よく働いた」
「靴の代わりに草鞋を履いた。とがった石でけがをして、血を流しながら作業した」
・・・・・・
勲章を着けた軍人がこうハッパを掛けたという。
「君たちの掘っている石がマッチ箱一つくらいあれば、ニューヨークなどいっぺんに吹き飛んでしまうんだ。
がんばってほしい」
マッチ箱一つの“火薬”で形勢逆転−。
軍事教育を受け、教育勅語をそらんじる少年たちは、そんな言葉に発奮した。
時折、軍人が配るキャラメルを楽しみに懸命に働いた。

この話と、以前twitterで流れてきたブログ「luckdragon2009 - 日々のスケッチブック」の「少年兵の残酷さと、優位者の残酷さ、を思う。」の内容とが私の中で繋がりました。

さて、書きたかったのは、下記の部分。

大人は残酷(ざんこく)な兵士にもなるけど、家に帰ったらやさしいお父さんにもなる。愛することや大事なものを知ってるから。でも、少年兵は物事の重大さが分からず、簡単(かんたん)に人を殺しちゃうんだって。
http://www.asahi.com/national/update/0804/TKY201208040635.html

これは明らかにそうです。人生が未経験すぎて、差別されることの痛みや、人に攻撃されることの痛み、自分が家族を持ち、時に弱いものを保護する経験をしていない、子どもは残酷です。


「少年兵の残酷さと、優位者の残酷さ、を思う。」の子どもの残酷さの紹介は、昨今のいじめ問題を発端としています。
子どもの道徳観は、集団行動や教育によって育まれます。
教える側の絶大な影響力がある環境も問題ですが、教育を受ける機会がまったくないのも問題です。
教育を受ける機会は学校だけでなく、学校外にあることも気をつけなくてはいけません。
親を含む年長者の何気ない発言が子どもの心の動きに大きく影響することには、特に気をつけなくてはいけません。
子どもへの先入観の植え付けは、彼らの自由な発想を縛ることになります。